Taki Wasi 1, Tarapoto, Peru
・・・麻薬・アルコール依存症患者用リハビリセンター

 タラポトの中心地から緩やかな傾斜をテクテクのぼって行くと、やがて舗装が途切れて赤茶色の未舗装の道路になる。さらにもう少し進むと、緩やかな登り傾斜が一転、急な下り坂になる。この辺からは人家が途切れ、見渡す限りうっそうとした森林が広がる。この下り坂を下りきったところにタキワシ(麻薬・アルコール依存症患者のリハビリセンター)はあった。
 門をくぐると職員らしき白人のオバちゃんが出てきた。英語で話しかけると、しかめっ面をして手を顔の前で横に振った。しかたなく、片言のスペイン語で尋ねる。

 「アヤワスカセッションに参加したいのですが」
 「今日はないわ。通常は火曜日と金曜日。その前に面接とヤワルパンガを受けてもらいます。料金は100ドル。これは面接、ヤワルパンガに加えて、ポストセッションカウンセリングも含めた料金、それから、」

 ちょっ、ちょっと、待って。俺は手のひらでオバちゃんの早口(ネイティブとしては普通だが、初級者にとってはツライ)を遮り、ひとつひとつつたないスペイン語で確認した。
 ちょうど担当者の時間が空いているようなので、面接を受けることにした。面接の相手はデビット。歳は俺と同じくらいだろうか。中肉中背、金髪の白人で、姿勢や立ち居振る舞いに落着きがある。カナダ(?)出身で、大学では心理学を専攻。あとで聞いた話だが、恋人がここで働いていたのがきっかけで自分も働き始めたらしい。綺麗な英語を話し、全体に理知的な雰囲気を持つ。予め記入したアンケートを見ながら質問してくる。これまでのアヤワスカの経験とその時のビジョン。過去の非日常意識体験の有無とその詳細。幼少期のトラウマの有無とその詳細。などなど。デビットは、1, 2, 3, と規則正しく質問を進める。何か引っかかる回答があると、1-1, 1-2, 1-3, とそれに係る質問をいくつかするが、決して、突っ込み過ぎたりしない。徐々に、順番に、必要な情報だけを、必要な料だけ引き出してゆく。30分もしないで質問は終わった。
 セッションは来週の火曜日。まだ丸々3日ある。タキワシの施設内は、患者の寄宿する建物以外は立ち入り自由だし、図書の閲覧も出来る。裏手は広大な森林地帯だし、川もある。セッションまでの時間は、あまり騒々しいところには立ち寄らず、山や川で心を静かに落着けることが望ましいとデビットは言っていた。モトタクシーで行けるタラポト周辺の滝やトレッキングコースも教えてくれた。デビットが自分の仕事に戻ると、俺はタキワシの敷地内をプラプラ歩いてみた。よく手入れされた植物たちが溢れ、とても気持ちがいい。玄関脇には大きなアヤワスカが螺旋を描きながら、傍らの大木に絡み付いている。その奥にはセッションが行われる、草葺のマロカ(ケチュア語で'大きな家'という意味)が見える。マロカの脇を通り抜けていくと、祭壇があった。巨石の上に小さなマリア像が設えてある。シャーマンによる診療施設にマリア像が掲げられるのも不思議な気がする。心なしか、このマリア像、血色が悪いように見える。もともと褐色のマリア像として作られたのだろうか。以前、黒人のマリア像を見たことがある。住民に親しませようと肌の色を変える作り手と、実際にそこに手を合わせる住民の人たち。さまざまな思いが錯綜する。

 カウンターでさっきのオバちゃんに、前払いで料金100ドル(ちなみにこの料金は他でのセッションに比べてべらぼうに高い。臨床医学の一環なのは分かるけど・・・)を払ってタキワシを出ると、まだほぼ真上にある太陽から容赦なく日差しが降り注ぐ。俺は日陰を求めて、来た方向とは逆の森への道を歩き出した。
 森の中の一本道はとても静か。時折、鳥の鳴く声と、飛び立つ羽音が聞こえる他は殆ど何も聞こえない。背の高い樹木たちが枝を伸ばし、眩しい日差しの外界とは異なる世界を作り出す。ひんやりとした風が時折、向こうから吹いてくる。川が近いのか。道の先に集落があるのか、たまに人とすれ違う。おっちゃんがひとりで歩いてきたり、家族連れであったりまちまちだが、みんなひっそりと歩いてきて、控えめに挨拶をくれて、静かにすれ違っていく。見るからににこやかに、という訳ではないが、決して無愛想でもない。足元を見ながら歩いてきて、5mくらいのところで、こちらを見て、ほんの少し微笑んで(または目で微笑んで)、「ブエノス、ディアス」。「ブ」と「ディ」以外は殆ど聞き取れない。口の動きでかろうじて分かる。
 鳥の鳴き声に交じって、聞いたこともない虫の声が聞こえることもある。聞いたこともない鳴き声なので、実は虫なのかどうかすら分からない。もしかしたら、カエルかもしれないし、見たこともない哺乳類かもしれない。あぶくが弾けるような、「ピン、ポン」という奇妙な音。いづれにしても、どこか近くに群れをなしているのだろう。徐々に鳴き声が大きく、いくつも聞こえてきて、やがてピークに達する。群れのど真ん中にいるのだろう。そのまま歩いていくとやがて鳴き声は徐々に減ってくる。ピン、ポン、ポン、ピンポン、ポンピン、ポンポンピンピン、ポンポンポンピン、ポポピンピンポポピン、ポピピピポンポンピピン、ポポポンピンピピピピンポピピピポン、ポポピンピン、ポンピンピン、ポンピン、ポン、ピン、ポン。という具合。
 タキワシから歩き出して30〜40分くらいのところで川が道を横切っていた。とても小さい川で、普通に歩いて横断しても、足首の上くらいまでしか濡れない。この小川を遡ることにした。石から石へ飛び移りながら15分ほど遡ると、大きな岩があったので、ひと休み。リュックからバナナと読みかけの本を取り出した。日本を発つ際、何冊か文庫本を荷物に詰め込んだが、単行本も2冊持ってきた。がさばるし、思いし、汚れるし、で単行本は旅には不向きだが、2冊とも文庫化されておらず、さりとて持たずして旅発つことも出来なかったのだ。2冊は同じタイトル、そのものズバリ「アヤワスカ」。1冊は日光のakiraさんのもの。もう1冊はakiraさんの作中にも紹介される、藤本みどりさんのもの。2冊とも、読み終えているが、この街(タラポト)に入ってから、みどりさんの「アヤワスカ」を読み直している。みどりさんは生前、このタラポトで暮らしており、タキワシで患者たちに禅の講習を行っていた。K大学の図書館に所蔵されていた「アヤワスカ」を読んでいた俺は、日本を発つ際、山口の実家に連絡して、無理を押してお母さんに在庫を送っていただいた。このタラポトに、そしてタキワシに持ってきたかったのだ。タキワシの図書室に、みどりさんの「アヤワスカ」は置いていなかったのを確認したとき、この本はここに置いて行こうと決めた。1冊送ってください、とお願いしたところ、どなたか親しい方に差し上げて下さい、と実家のお母さんが2冊送ってくださったのも、何かの因果かもしれない。
 みどりさんはとてもストイックな人だった。少なくとも作品からはそう見える。作品自体は平易な文章で、ごく淡々と自分の体験を綴っているに過ぎない。ややもすると、オカルトや超常現象にはまり過ぎていたのかな、などと素人の俺などは感じてしまう部分もあるのだけど、でも、このような領域に興味を抱く人々(自分も含めて)にありがちな、声高に訴えたり、我こそは真理を得たり、といった部分は欠片もない。ただ、自分の体験したこと、感じたこと、考えたこと、をあくまで自分の視点で語っている。自分の身の丈を超えない語り口に引き込まれてしまう。その素直な直向さに素直に同調してしまう。akiraさんはバスの中で読みながら不覚にも泣いてしまったそうだが(「アヤワスカ」 akira著)、俺は巨石の上で泣かなかった。ただ、ふと傍らにみどりさんがいるような、石の上であぐらをかいて読んでいる俺を傍らで見守っていてくれるような、そんな気がした。

 

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玄関脇のアヤワスカ

マロカ。風通しがよく気持ちいい

敷地内にある祭壇。
青い服を着たマリア像が見える。

蔓(多分アヤワスカではない)が別の木に絡み付いていたり、シダが巨木と絡み合っていたり、生物の交じり合った力を感じる森

日本の彼岸花に良く似ている。緑の森で群生している様は鮮やか。

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