2004.09.01(Wed.)

 ユーコとその妹で作るデザインユニット(彼女たちは'物づくりユニット'と呼んでいる) 'Hasu no hana' がTVに出ることになった。といってもBSだけど。
 テレビ東京系のBSジャパンで毎週金曜日(22:30〜)に放映されている、「ハッピーデザイン」という番組で、ブックカバーのデザインコンペに参加する。品川庄司が司会を務め、「世の中の女性のわがままリクエストに各界で活躍中のクリエイター3人が挑みます。」という番組。読書の秋、ということで次回のお題はブックカバー。

 数ヶ月前、彼女から電話があり、「読書家としては、どんなブックカバーがあったら嬉しいか?」と聞かれた。自分では、それほど本を読む方ではないと思っているのだが、活字を絵や写真と同じように、デザインの対象としてしか見ない彼女にとってはこんな俺でも読書好き、となるらしい。正直、ブックカバーなんてどれも同じだし、いま世の中に出回っているものでこと足りる。紀伊国屋のカバーでも十分なんだ。なんて答えると不満タラタラ言われるのが目に見えているので、あれこれアイディアを引き出してみた。その中のひとつ、「そのまま郵送できるブックカバー」のコンセプトを元にして、彼女たち姉妹がイラスト、デザインを行い、ついに完成。先月、自宅で撮影が行われた。

 出来上がりは、本人たち曰く、地味ぃ〜な仕上がりに見えるかもしれない(とくに番組HPの写真を見ると)。だけど、何となく、「野を越え山越えて、はるばる遠くから送られてきた」感が滲み出ていて、味わいぶかい感じもする。アイディア提供者としては満足の出来。

 ま、もしお暇でしたら、番組見てやって下さい。でもってWEB投票なんぞしていただければ 'Hasu no hana' ともども至福の極みでございます。

 9月3日(金) 22:30〜23:00
 テレビ東京系BSジャパンにて
 (http://www.bs-j.co.jp/happy/)

 告知ついでに、もうひとつ。
 ユーコがデザインを手がける雑誌"Girlie"が目出度くVol.3を発売。太田莉菜ちゃん扮する可愛い先生の表紙が目じるし。
特集「がっこう」と題し、文房具/せかいの教科書/GOMAの給食/懐かし消しゴム/36人のあの人に習いたいこんな授業、などなど。

 ま、もしお暇でしたら、雑誌見てやって下さい。でもって小銭が余ってたら、買ってやっていただければ 'Hasu no hana' ともども至福の極みでございます。
 
2004.09.03(Fri.)

 Yahoo!オークションに出品してみようと思った。
 出品するのは初めて。
 品はVESPA用のホワイトシート。

 20歳(だったよな?たしか)の頃にET3 125を新品で買って以来、10年以上もVESPAオーナーだった。晩年は、だましだまし乗ってきたが、昨年ついにシャフトの耐性限界と俺の我慢の限界が重なり廃車に。10歳と2ヶ月の命だった。犬や猫にしてみれば20歳以上、人間にすれば100歳以上の大往生である。そんな悲しい別れが近づいていたのも知らず、その前年にイメチェンを図るべく、綺麗なまっ白なタンデムシートを購入したのだった。年季の入った紺の車体にまっ白のシートが不恰好に似合ってた。廃車にした際、他のパーツは諦めがつく位くたびれていたけれど、このシートだけは勿体無くて持って帰った。

 勿体無くて持ち帰ったのはいいのだが、恐ろしく汚れている。
 ガレージもないのに、まっ白なシートを買うこと自体間違っているのだが、雨にうたれて、そのくせ洗車もマメにしないもんだから、水垢がついて、もはやホワイトとも、オフホワイトでもなく、ネズミ色、というか手触りからしてゾウ色になってしまっていた。
 
 で、洗浄。
 これが、思ってた以上に大変。
 衣服の汚れもそうだが、汚れって放っておくと、どうしてこんなに頑固になるのだろう。いや衣服だけじゃない。風呂場のカビや黒ずみ、換気扇の油汚れ、いやいやまだあるぞ、同僚とのわだかまり、友人への不満、夫への猜疑心、こうゆうものは付着後、なるべく早い時期に洗い流すに限る。そうすれば綺麗に元通りになるのだ。
 閑話休題。さて、シートをごろりと風呂場に転がし、どう洗おうか考えてみたが、我が家にはそれらしいブラシも洗浄液もないことに気が付いた。とりあえず古い歯ブラシでゴシゴシ擦ってみる。が、いっこうに落ちそうな気配も無く。そこで、バスマジックリンをつけて擦ってみると、こんどは徐々に汚れが落ちてきた(Fig.1)。しかし、まだ洗浄力は物足りない。そこで目についたのがハンドソープ。試してみる。すると意外や意外。バスマジックリンよりも断然落ちる。シートは人肌に感触が似ているせいだろうか?などと考えながらも歯ブラシは快調にシートの上を走り、半分まで来た(Fig.2)。ここで閃いた。そうだ!洗濯機用の洗剤だ!新聞屋の兄ちゃんがいつも置いていく酵素パワーのトップ!を流しの下から引っ張り出し、白い粉を白いシートにパラパラ撒いて擦り始める。
 
 お?
 おぉ?
 おおおおおお!すごい!
 さすがは酵素パワー!驚きの白さは伊達じゃない!
 
科学の推移を集めた合成洗剤はさすが。汚れがみるみるうちに浮き出てくる。というか、手に付着するとヌルヌルした感じが残って薄気味悪くもある。それでも圧倒的な洗浄力の前に、汚れは排水口へと流されて行き、シートはピカピカの新品状態に!はならなかったが、せめてオフホワイトと呼べるくらいまでには再生した(Fig.3)。

 よーし、後は写真を撮って、と。あ、小さな部品もいくつかあったっけな、えーと、止め具と、ん?あれ?キー、・・・・・・。キーがねえじゃねえか!
 そう、いたずら防止のためにシートを固定するロックがこのシートには付いているのだが、そのキーが見つからない・・・。
 やれやれ、秋の夜長はこれからのようである。

 

(Fig.1)

(Fig.2)

(Fig.3)

2004.09.05(Sun.)

 小山田徹さん率いる風景収集狂舎の打ち合わせがあった。6月〜7月に行われたAAFのフィールドワークの成果物として、冊子を作成する。表紙のデザインやページ割、エッセイの基本的な方向について話し合った。
 相変わらず肩に力の入らない、それでいて話の内容もちゃんと展開する、有益な打ち合わせだった。ファシリテータとしての小山田さんに拠るところが大きい。というかこれこそ小山田さんの真骨頂なのかもしれない。
 冊子は思っていた以上に素敵なものになりそう。単なるフィールドワークの報告書に留めるのではなく、それを足がかりに、参加者ひとりひとりがどこまで思考の飛躍を伸ばせるか、が焦点になりそう。フィールドワークもそうだったが、予め何でも決めすぎない、みんなで手足を動かしながら方向修正できる「あそび」が、冊子作成のプロセスにもありそうで、出来あがりまで楽しみが続きそう。
 打ち合わせ終了後、みんなで日暮里のカツ屋、「ありや」さんに行った。カツとビールという組み合わせも美味いが、ここには焼き鳥、モツ煮、なんでもある。本当は、風景収集狂舎ですっかり馴染みになった浅草の居酒屋(岡本)に行く予定だった。ご主人や常連さんたちのあったかい人情と、たまに感じる機微が感慨深いお店だが、この「ありや」さんもなかなかどうして。女将さんのさりげない心遣いがほんのり暖かだった。繁盛しているらしく、地元の団体さんが奥の座敷で楽しそうに飲っていた。地元に根を張ってる飲み屋さんに混ぜてもらうのは有難いことだし、本当に面白い。
 アイヌモシリツアーのメンバーだったナホちゃんが、来週から大阪に、そして2ヵ月後にはベルリンに行ってしまうミエちゃんに素敵なプレゼントを持ってきた。自作のアイヌ模様の刺繍が入ったウェストポーチ。刺繍は素人とは思えない精緻なシンメトリーになっている。時間をかけて丁寧に作られたことが伝わってくる秀作。ナホめ、やるじゃん。

2004.09.08(Wed.)

 飛べなかったあぁぁ!

 1ヶ月前から予約を入れていたスカイダイビング。台風の影響で、関東には前日から厚い雲。それでも前日、オーガナイズしてくれる東京スカイダイビングクラブからの電話では、天気が心配だけど恐らく大丈夫。予定通り、ドロップポイントに来て下さい。とのことだった。
 朝からどんよりと空を覆う雲を睨みながら、朝イチで新宿の家を出て、ドロップポイントである荒川河川敷の本田飛行場に昼前に到着したのだが・・・。
 視界不良なので、とりあえずクラブハウスで待機。そのまま時間は流れていき、午後2時近く、無常にも実質的な白旗宣告がスタッフからなされ、当日のフライトは見送りに。

 あ゛ーも゛ー!
 台風のバカヤロー!
 雲なんか連れてくんじゃねーよ!!!


 この日、実は彼女の誕生日で、30歳という節目の年だし、何かビッグサプライズな誕生プレゼントを、と考えて「空」をプレゼントするつもりだったのに・・・。ワードを駆使してお手製のフライトチケットまで作ったのに・・・。レラ・カムイへのお祈りが足らなかったのかなぁ・・・。
 ともあれ、近いうちのリベンジをスタッフに誓い、クラブハウスを後に。こうなりゃ絶好のコンディションで飛ぶまでよ。彼女も飛ぶまでは29歳のままでいるとか何とか。
 夕刻、気を取り直して、東京タワーへ。久し振りに見た高さ250mの東京の空は綺麗かった。空が青から紅、黒になるまでガラスにへばりつきながら、いつか飛ぶ日の空を見ていた。

・7月の事の葉たち
・8月の事の葉たち

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2004.09.11(Sat.)

 墨田区立立花中学校の夜間学級を描いたドキュメンタリー映画、「こんばんは」を近所のポレポレ東中野で見た。
 昨年のゼミで墨田区の色んな方にお世話になって以来、何かと気になる地域で、人のつながりも徐々にではあるけど広がっている。トタン屋根の住宅が続く路地、植木が彩りを添え、子供がしゃがみ込んで(メンコではなく)トレーディングカードで遊んでいたり。猫の日向ぼっこを見つめてると、後ろからやってきた見知らぬオバちゃんに気軽に声を掛けられたり。向島や京島あたりは、歩いているだけで、ほっこりと幸せになれる場所。
 映画の舞台となる立花中学はそんな界隈にある。夜間学級とは、様々な事情で義務教育を修了できなかった人や、外国人労働者たちが、国籍や年齢に関係なく、机を並べて学ぶ場である。映画に登場する中学生も、下は10代から、上は91歳まで、国籍も中国人やアフガニスタン人、ブラジル人など、さまざま。本人の「学びたい」という意思があれば、年齢、国籍に関係なく入学できる。  自分の通う大学も、いわば夜間学級とも呼べるものだから、つくづく感じるけど、教育の本質が問われている「今」だと思う。

 「学校に来て、こんばんはというとみんなの返事がかえってくる。その声を聞くと、今までの出来事がよい事も、悪い事も、悲しい事も、みんな消えて学校に来た喜びでいっぱいになってくる。」 (パンフレットより)

 山田監督の「学校」のモデルにもなっている見城先生が作中、仰られている。義務教育を受けられなかった高齢者や、外国人にとっての漢字学習は、通常の小学校のそれと同じではないと。少々複雑な漢字でも、その漢字が実生活に関わっていれば直ぐに習得する。一般的な社会生活を送る上で必要不可欠な、こうした漢字を挙げていくと、381字に絞られるらしい。見城先生はこの381字を生活基本漢字と呼び、優先的に教えてこられた。「学び」とは本来、生活に根ざしたもの。それは内申書や受験のための勉強ではなく、自分の奥から湧き上がる「知りたい」と思う気持ち、それまでの一切の感情が立ち消えて学校に来た喜びで一杯になる喜びの気持ち、と密接に結びついたものだと思う。


 夕方、新宿西口をチャリで走ってたら、音更がライブをしていたので立ち寄った。以前、何度か見かけたことがあるが、最近、軍艦島(黒江に出会ったバー)でよくCDが掛かっていて、耳に馴染んでいた。特にルパン三世のテーマ'78がむちゃくちゃカッコ良くて、すっかりマイってしまっていた。
 すでに相当な聴衆が辺りを囲んでいる。分け入って先ずはCDを買い、スペースを見つけて座り込む。ボディーヒットやタッピング奏法など、見てるだけでも楽しくなるほど、二人とも楽しそうに演奏している。聴衆も自然に身体が揺れだす。
 と、そこに突然、ワゴンを押したおっちゃんが乱入。おっちゃんのテリトリーなのだろうか、物凄い形相でなにやら二人に怒鳴りつけている。しかし、さすがは二人ともプロ。顔はおっちゃんの方を向けつつ演奏は止めない。ギターの音で掻き消され、おっちゃんの声は聴衆には殆ど届かないが、ただならぬ事態に観客の誰もが戸惑い、困惑している。おっちゃんの迫力に押されてか、誰もおっちゃんを止めない。おっちゃんは今にもアンプを蹴っ飛ばしそうな雰囲気。明らかに険悪なムードが高まったいく。「演奏が止められたらイヤだなぁ」と思い、おっちゃんに話しかけようとした時、後ろからにゅっと腕が伸びてきておっちゃんの肩をつかむや否や、グイッとおっちゃんを引っぱり込んだ。おっちゃんが足を踏み外し転ぶのもお構いなしで、そのままおっちゃんを観衆の後ろに引き摺り出してしまった。スーツを着たまだ若いサラリーマン風のニーチャンだが、身体は頑強そう。突然の出来事に、辺りは一瞬ボーゼンとなったが、すぐに何事もなかったかのように演奏が辺りの雰囲気を飲み込んだ。
 演奏後
、音更のメンバーからお礼を言われる頑強なニーチャンはさながら正義の味方スーパーマン。周りの聴衆も、胸をなでおろし、スーパーマンに心の中でお礼を言ったに違いない。俺もそう思ったし、追い払ったおっちゃんが演奏中に再び邪魔に入ろうとした時はニーチャンと阻止した。
 しかし思う。あまりに単純で、一方的過ぎやしないか。
 みんなで耳を傾けている音楽をぶち壊そうとしたおっちゃんは、その場ではみんなの敵だろう。駅前の歩道なので、おっちゃんのシマだからといってストリートミュージシャンを排除出来る明確な根拠もない筈。だけど、おっちゃんの言い分くらい聞いても良いのではないか。みんなの敵ならば、ひっぱり倒して引き摺り出してもいいのか。こんなこと言うと偽善者と後ろ指を指されるかもしれない。俺だって演奏が止められるたらイヤだし、だから阻止もした。でも、思う。これじゃあ、おっちゃんがあんまりだよ。
 3年前の今日、ワルシャワの萎びたマンションの一室で、大きなビルが崩れ去る映像を何度も繰り返すTVを見ていた。あれからちょうど3年。何が変わったのか、何が変わってないのか、考えさせられる。

2004.09.16(Thu.)

 沖縄から戻った。
 青い海と、白い雲と、どこまでも続く空が、前に見た時とまったく同じに、当たり前のようにそこにあった。
 連日、天気に恵まれてすごく気持ちのいい数日間だった。
 あー、リフレッシュド。
 
 メンバーは、ミュージシャン目指して都内で精力的にライブ活動を続けるテツ、ザルツブルグから帰郷中のダンサー・mek、そしてくわえ煙草が似合う傘寿、ゴッドマザー・ヒデコお婆ちゃん。実はテツは従兄弟、mekは妹、みんな血の繋がったファミリーである。今年の春から名護の病院でソーシャルワーカーとして働き始めた妹、Yukiのところに遊びに行った。

 12日(日)、羽田を飛び立ち、きっかり2時間後に那覇空港に到着。この日はお婆ちゃんの移動の疲れもあって、特にどこにも行かず、ホテル近くのイタ飯屋でささやかながら再会を祝った。
 
 翌13日(月)、体力の回復したお婆ちゃんを連れ、皆で「美ら海(ちゅらうみ)水族館」へ。ここの目玉はなんてったってギネス公認、世界最大の水槽で泳ぎまわる体長10mちかいジンベイザメ
 いた。順路の後半、つづら折になっている薄暗いスロープを降りていくと突然、目の前に現れるコバルトブルーの世界。超巨大な水槽の前に佇む見物客の頭の上を、巨大なジンベイザメが悠然と泳いでいる情景は、一瞬、現実感を失わせる。この巨大水槽の傍らはカフェーになってて、飲み物片手にこの現実離れした光景の中でたゆたうことが出来る。
 ややがっかりしたのは水槽。水槽横に控えめに掲げられたギネスのサーティフィケイトをよく見ると、世界最大だと思い込んでいた水槽は、実は世界最大ではなかった・・・。サーティフィケイトによれば水槽のパネルが観賞用としてと、アクリル製としての両方で世界最大。つまり、水槽自体の大きさは世界最大ではなく、窓の大きさが世界最大ということ。でも待てよ。世界最大の水槽でも窓が小さきゃ意味が無い。世界最大の水槽に付いた世界最大でない鑑賞窓と、世界最大でない水槽に付いた世界最大の鑑賞窓なら、やっぱり後者の方が迫力ありそう。ま、いいか。
 
その後、Yuki行きつけの画廊喫茶「風の庭」に行く。本部(もとぶ)周辺のこのあたりは以前から趣向を凝らした素敵なカフェが多い。愛して止まない、やちむん喫茶・シーサー園を主張したが、Yukiに押し切られてしまった・・・。やんばるの山道を車で登っていくと、ほぼ山頂付近に感じの良い2階建ての木造住宅が見えた。「風の庭」である。名前の通り海からの風が常に通り抜ける庭が気持ちよい。迷わず庭のテーブルを陣取り、美味しいコーヒーをいただく。偶然にもカウンターにいたお客はYukiの同僚。彼女たちの働く病院の院長夫人も後に加わり、店内は身内ばかりのアットホームな雰囲気。拍車を掛けたのが、途中で現れたオーナーでもある屋良朝春画伯。頭だけでなく髭もまっ白だが、とても60歳を越えているとは思えない矍鑠とした立ち居振る舞い。クリクリした瞳と冗談を交えた優しい語り口が印象的。こんなにチャーミングという言葉の似合う人は探しても、そうみつからない。実は絵だけでなく、舞台やモデルもこなすそうだ。いやはや・・・。
 
 夕食は、名護市郊外にあるブセナホテルに行った。沖縄サミットの際に使われた超ゴーシャスホテルである。実はこの日、孫4人には企みがあった。今年80歳を迎えるお婆ちゃんの誕生日が9月16日なのだが、これは手続き上の日付で実は6日が出生日。じゃ、ちょうど真ん中にあたるこの日にお祝いしようと孫4人で秘密裏に準備をしておいたのだ。お婆ちゃんがホテルで休憩している間に、琉球ガラスのスタンドを購入。予約したレストランにもケーキとロウソクを用意してもらった。しかも、入店時に降ってきたスコールは程なく止み、席から見えるオーシャンビューには、幸運の証とされるダブルレインボウのおまけまで付いた。すべてが予定通り、いやそれ以上にうまくいき、お婆ちゃんの嬉しそうな笑顔に孫4人も大満足。
 食後、お婆ちゃんをホテルに送ったあと、元ちとせの旦那さんが経営するバー、"Malmo"に行ってみた。天上が高く、広々とした店内にはビリヤード台がひとつと、ソファーセットが幾つかあってシンプルながら居心地の良い空間。なんと言っても、目の前には月光に照らされる白い砂浜が広がるのが贅沢。ついつい、オリオンのジョッキが進む。
 Yukiのリクエストで帰りにカラオケに。最初1時間半の予定で入ったが、出てきたのは3時間ちかく経ってからだった。Yukiたちとカラオケ屋で別れ、ひとりホテルに歩く帰り道、魅惑的な赤提灯を発見。最後の締めに食した。殆ど味は憶えていないが美味かったと思う。多分・・・。
 
いや〜、こうやって書いてみると何とも濃ゆい1日だこと。3日目以降はまた明日書こう。
2004.09.17(Fri.)

 沖縄3日目。
 相変わらず朝から暑い。ホテル周辺を歩き出すも、つよい日差しと昨晩の残留アルコールに負けて、あえなくホテルに退却。
 お婆ちゃんが体調不良を訴え、1日ツアー離脱を訴える。まる1日、置き去りにするのもどうかと、昨日のブセナでお茶に誘うと、あっけなく了解した。よほど気に入ったご様子。確かに、その辺の高級ホテルとは1ランク違うサービスの質を、とくに従業員ひとりひとりから感じる。それは、対応が丁寧とか、愛想が良いといった物ではなくて、相手の機微が伝わってくる、というようなもの。サービスの過剰供給ではなくて、こちらの求めるものが瞬時に伝わる心地よさ、とでもいうのかな。出発以来、「旅行もこれが最後だから」を口癖のように連発していたお婆ちゃんは、ブセナの従業員には、「また機会があったら来ますので」と言っていた。
 
 奥武島海産物食堂で、遅めの昼食。南海岸に接している小さいな奥武島の、静かな漁港にあるこの食堂。さすがに漁港に近いだけあって、新鮮な魚介類がこれでもか!ってほどの大盤振る舞い。殆どの定食に、黙ってても新鮮な刺身が付いてくる(おまけで)。味噌汁感覚で頼んだ、魚汁や蟹汁も、鍋でドカーンと出てくる豪快な料理。その日にとれた新鮮な魚が殆ど丸ごとズドーン。蟹も巨大な半身がボチャーン。とにかく味もボリュームも大満足。
 店を出た後は、西に走ってひめゆりの塔へ。既に何度か来たことがあるが、Yuki以外の2人が見たことないので、再訪。ここは何度来てもヘヴィーな場所と言うYukiは連日の運転疲れもあって、俺たちが祈念博物館を見ている間、車の中で休んでいた。館内は今年の春にリニューアルされて、見やすく演出されていた。もともと、ひめゆりとして戦争を生き抜いた人たちが館内で来館者に直接解説してくれる方式だったが、彼女たちの高齢化によって、リニューアル後はインタビューを録画したビデオが流されていた。
 その後、近くにあった琉球ガラス村で、ガラス細工の製造過程を見学してから、翌日のライブのためにひと足はやく帰るテツを送りに空港へ。
 
 夜は名護市内の料理屋「はなおり」へ。しっとり落着いた雰囲気と、素材を生かした美味しい料理が人気らしく、店内は満席。かろうじて空いていたテラス席へ。ゴーヤチャンプルやスーチカーなど定番の料理に加えて、糸瓜の味噌合えや石焼きタコライスなど、一風変わったメニューも充実。俺たちの後にも何人かのお客が店を覗いては満席であきらめて、帰っていくのを見るにつけ、人気の高さが窺える。酒も肴も店内の雰囲気も申し分ないが、人気の最大の理由は看板娘にあるような気がする。女将の娘らしいこの女性、愛想も気風も申し分なし。愛想が良い、気風が良い、だけならいるけど、ここまで両方かねそろえた姉さんも珍しい。酒も肴も足を引っ張って、気がつきゃ今日も午前様。これじゃ身体にいいわきゃないよ。わかっちゃいるけどやめられない。というわけで、この日は帰りにヤギ刺し喰らいました。

 沖縄に来てからというもの、エンゲル係数がすごく高い。今日の内容も殆どが食事の話に終始しているし・・・。これじゃまるで喰い倒れガイドブックだ。
 
 というわけで、出発日はお婆ちゃんを連れて首里城へ。と言っても、連日どおりの強い日差しと急な階段の上り下りはキツイらしく、首里城内はササーと通り抜けて、出口付近の喫煙所でコーラ片手にプカプカ。すごくジャンクなのに、不思議と似合うのはゴッドマザーゆえか・・・。コーラは歯を溶かすだの、煙草は灰を真っ黒にするだの、そんなちんけな言葉はこの人の前では地に落ちる。自分の行きたいところに行き、自分の食べたいものを食べ、自分の見たいものを見る、下手な健康療法なんかより、よほど健全な長寿の秘訣かもしれない。ものすごく当たり前の大切さが、ものすごい説得力とともに伝わってくる。久し振りにお婆ちゃんと一緒に過ごして、そんなことを感じた数日間だった。

ブセナのテラスより

奥武港でイカを干す

メエメエ

2004.09.20(Mon.)

 例えば、酒宴での約束。
 しかも、お店でたまたま意気投合した人との口約束なんてのは、その場限りの社交辞令と理解するのが普通だし、相手への礼儀になったりすることもある。でも、ごく稀に例外もあったりする。

 小山田ワークショップに参加してた7月のある週末。すっかり馴染みになった浅草寺裏の老舗居酒屋、「岡本」でたまたま、隣の店に座った(この界隈ではそれぞれの店が道端にテーブルを並べているので、すぐ隣のテーブルでも隣の店だったりする)オジサンたちと祭りの話で盛り上がった。よくよく話を聞けば、オジサンたちは町内会で作るの御輿会の役員さんだとか。しかも、それが新宿牛込の原町3丁目という。家からも学校からもすぐ近くなので、「担ぎ手が足らなかったらいつでも行きますよ!」、「よし、ゼッタイ来てよ!ハッピ用意しとくから」なんてついつい調子よく約束した。こういう酒の席での口約束はよくあること。

 しばらく忘れていたけど、数日前に手帳の走り書きを見て思い出した。メモされた祭りの前日に、説明された原町界隈を自転車でフラフラ様子を見に行ってみたら、神社の前で準備に大忙しのオジサンたちにバッタリ遭遇。正直、俺の顔覚えてるかな?とか、約束自体忘れていないかな、と心配して行ったけど、出会った途端、そんな杞憂は吹き飛んだ。

 「おぉー!やっぱり来たねー!」
 「いやー、ホントに来るかねぇ?って話してたんだよ俺たち」

 なに言ってんスか!こっちこそそんな古い話まに受けて、のこのこ現れてスイマセン!ありゃ、半纏までしっかり用意してもらって申し訳ない!はい、明日の午後3時ですね、分かりました!必ず!

 翌、19日。仕度を整え、神社に行ってみると、思いの他、多くの担ぎ手が集まっている。応援に来た担ぎ屋さん(という集団が世の中にはいる)たち、市谷駐屯地から応援に来た自衛隊の若手隊員たち。なんだ、担ぎ手十分足りてんじゃんとは思わずに担ぎ棒につく。

 この原町3丁目御輿、普通の町御輿にしてはかなり大きい、が、毎年担いでる田舎の二石会御輿に比べたらだんぜん軽い。御輿を担いでいると、だんだん皆疲れてきて、御輿が下がってくる。そういう時、田舎の御輿はひとりでよっこらせっと上げようとしても、重すぎてまず持ち上がらないが、この原町御輿は頑張ればひとりでも上げることが出来る。けれど、それがかえっていけなかった。鼻に掛けるわけでは決してないけど、だらだら下がってくる御輿を立て直す人が周囲では他にいなかったので、セイヤ!っと持ち上げる。すると、おぉ!とか、持ち上がったね、なんて声が聞こえる。「持ち上がったね。」じゃねぇ!お前らもたまには持ち上げろってんだ、と内心思いつつも、まんざら悪い気もせず、張りきってセイヤ、セイヤと掛け声かけだしたりする。こんなことを何度も繰り返していると、終わる頃には、腰はズキズキ、声はガラガラ、膝はガクガク、這這の体になってしまっていた。それでも、宮入となると老体に鞭打って突っ込んでいってしまうのが悲しい性。無事に宮入を済ませて、晒しを解いてビールを頂いたら、尻に根が生えていた。もう動けない。

 しばらく休んでいると、オジサンたちに近くの飲み屋に誘われて、断り切れず尻に生えた根を切りとってついて行く。神社からほどない夏目坂にあるお店で、御輿の役員もされていた近所の方が、趣味で始めた店とのこと。始めたというのは正しくない。来月オープン予定で、まだ始まっていない。でも、内装も道具も殆ど揃っており、今はこうして近所の人たちが味見に来ている試用期間らしい。美味しい酒と肴、そして粋なオジサンたちの軽快なお喋りにまったりと酔った。



2004.09.21(Tue.)


 お知らせ。

とりふね舞踏舎横浜公演 
『燦・月譚』

-聞こえますか、私はここにいます-


 神奈川の舞踏集団「とりふね舞踏舎」が、地元の舞踏家「大 野慶人」と韓国の民族舞踊家「李七女」をゲストに迎え、さら に 竹楽器を自由に操る「バンブーオーケストラ・ジャパン」 のメンバーの演奏を加えて、舞踏芸術の新たな展開を図ります 。今までにない舞台芸術の世界をお楽しみください。

日時/
10月16日(土)開場15:30 開演16:00
17日(日)開場14:30 開演15:00

会場/かながわドームシアター
横浜市中区山下町54 Tel045-651-2163

 従兄弟が出演してる関係上、通常3,500円のチケットを2,500 円でお分け出来ます。ご希望の方はメール下さい。(数に限りがあるのでお早めに。)


2004.09.26(Sun.)


 木曜日(23日)、群馬の実家に戻った。
 ザルツブルグから夏期休暇で日本に来ていた妹が、ザルツに戻るので家族で歓送会をした。つくづく仲のいい家族である。いつからこうなったのか?少なくとも俺の幼少期の記憶には似ても似つかない荒んだ家庭環境が記憶されているのだけど・・・。
 ともあれ。墓参りをした後で、妹が行きたがっていた「県立ぐんま天文台」へ。16:30入館終了で、駐車場に着いたのが16:15。しかも、駐車場から結構長い遊歩道を歩くという。よぉ〜し、ここはひとつ兄ちゃんが一肌脱いでやろう!霧雨交じりの中、山の頂上へ向かう遊歩道の階段を駆け出した。決して急な階段ではないのだけど、だらだらとどこまでも続く。しかも、走る歩幅に一段の長さがどうもうまくあわず、リズム良く走れない。最初、勢い良く一段抜きで走り出した足取りは徐々に鈍り、一段ずつ上るようになった頃、不吉な暗示が視界の隅を横切った。

                    「250/522」

!なぬ!まさか?ひょっとして、これはこの階段の段数を表したものではあるまいな!?
これだけ走ってまだ半分とは、にわかには信じられなかった(信じたくなかった)のだが、進めど進めど、頂上は見えず。50段進むと無常にも、さっきと同じ階段の片隅に白字で「300/522」の表示が・・・。まだランニング程度の駆け足だった足取りは歩きだしていた。

 ようやく頂上に辿り着くと、霧雨に煙る天文台が姿を現した。隣接するストーンヘンジやインドのジャンタルマンタルのせいか、幻想的な雰囲気が辺りに漂い、現実的な感覚が鈍る。現実的な問題(閉館時間)のため、入り口の扉を開けると、優しそうな笑顔のスタッフが迎えてくれた。まだあとから4人ほど来ることを告げると、入館は16:30までだけ開けておくから大丈夫、17:00までは館内を見れます。急いでまわれば、ひと通りは見れますよ、との事。良かった良かった、走った甲斐があったってもんだ。

 館内では天文台の規模や能力などが分かりやすく説明されていた。スタッフも閉館ギリギリで入ってきた一団を迷惑そうな顔ひとつ見せず、丁寧に説明してくれた。なかでも150cm望遠鏡は圧巻。元・プラントエンジニアとしては、こういうバカでかい機械を見るだけで、なんだかワクワクしてしまう。150cmとは取り込んだ光が最初に反射する鏡の径。直接覗くことの出来る望遠鏡としては、世界最大クラスだとか。職業柄か、製造法に興味が沸くので聞いてみると、ガラスにアルミ鍍金をかけて、さらにシリコンコーティングしてあるとのこと。ちなみに製造費は1体で約9億円とのこと。宝くじがあたっても買えないシロモノである。
 設備も対応も良かったけど、ただ、天気が・・・。やはり天文台に来るからには星を、昼間ならせめて太陽の黒点を、見てみたい。次は晴れた夜に来ようと誓いつつ、遊歩道の階段を下った。

 夜、ご飯を食べ、カラオケに行った。つくづくカラオケの好きな家族である。いつからこうなったのか・・・。そういや、カラオケなんてここ数年、家族以外では行ったおぼえがない。
 どういうわけか、この日は、このカラオケ以降の記憶が無い。飲み過ぎたのか、疲れていたのか、なんとも情けない話。
 翌日、母に尋ねると、居間で完全にのび切った俺を、弟と妹が寝室まで運んでいったそうな。持つべきものは兄弟かな。


2004.09.27(Mon.)


 ネアリカン・フミさんの企画した、ナナオさんのポエトリーリーディングを聴きに金沢文庫に行ってきた。

 むかし上大岡周辺にしばらく住んでいた。久し振りの京急からの景色が懐かしい。電車に乗って本を読まずに景色を眺めるのって、かなり久し振りのような・・・。少なくとも、国内じゃ小学校の遠足とか・・・。

 会場はとてもアットホームなところだった。
 いつも通りひょっこり現れた翁は、飄々としててそれでいて凛としている。80を越える高齢であり、知る人ぞ知る、というかその筋では既に歴史上の人物(存命だが)と言ってもいいほどビートやカウンターカルチャーに影響を残した人物。にも拘らず、ちっとも偉そうなところがない。演壇からものいうよりも、子供と遊んでいる方が遥かに似合う。

 いつものように会場からの声を聞き、それを基に詩を選び朗読していく。「ラブレター」や「淑女ならびに紳士諸君」のような名作(と勝手に思っている)も披露した。今回も僕は「水鏡」をリクエストした。洗練されたシンプルさと、無限の広がりが同居した、禅の教えのような作品だと思う。はやく作品集に入ればいいのに。

 その会場で知り合ったネアリカンの人たちと話が盛り上がり、帰り道にあるバー「Road to sky」で飲んだ。とてもおいしい酒で楽しい時間だった。おまけにmixiにも誘ってもらえた。以前から話は聞いていたのに、誰からも誘ってもらえなかった僕としてはとてもタイムリーな出会い。

 帰りの車窓から見る風景はむかしのままだった。
傘寿を超えて尚その言葉は鋭く光る
2004.09.30(Thu.)


 あぁ!うっかりしてたら、もう10月になっちまった!
 えぇい、構うもんか!
 この仮想空間では俺様が9月といえば、9月なのだ。

 というわけで、ここのところゆっくり日記を書く時間がない。
 あんまり寝てないが、体と頭はフル回転している。
 だから、短いながら眠りは深い。

 明日は久し振りに酒を飲む。
 しかも、浅草の岡本だ。

 秋風すさぶ
 青空酒場路の上
 隣は何を歌う人ぞ
 (字余り)
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