2004.08.01(Sun.)

 先週、木曜のMoMA展に続き、金曜日は新宿文化センターに、アイヌ工芸品コンテストを見に行った。色とりどりのアツシ(着物)を始め、マタンプシ(鉢巻)やテクンペ(手甲)、細かい彫刻を施したイコロ(宝刀)やメノコマキリ(女性用小刀)などがずらりと陳列されていた。アイヌ語の受講生数人に加えて、先生も一緒だったので、
 「これ、何て言うんだっけ?」 とか、
 「これは何に使うの?」
てな具合に、ひとつひとつ確認しながら見ることが出来たのは有意義だった。アツシなどによく刺繍されている、アイヌ独特の模様に改めて思いを寄せてしまった。アイヌ独特の模様であるのだけど、一方で、中央アジアなどでも似たような装飾が見れたりもするのは興味深い。

 その後、皆で中野のレラチセに。アイヌ語で「風の家」という名前のこのお店、中野に越してくる前は学校付近にあったそうな。去年の大晦日に店主、佐藤タツエさんが亡くなられたのを新聞で知った。以前、学校の友人に誘われたけど、都合があって行けなかったのを悔やんだ。その後、ひとりで行こうにも、場所が分かりづらく、なかなか行けなかった。念願かなって、という感じ。
 店の扉を開けると、アイヌグッズが並んでいた。書籍やTシャツと共に、先日、深夜番組に出ていたトンコリ奏者のOKIさんのCDや、一緒に音楽活動を続けて、先月、亡くなってしまった安藤ウメ子さんのCDも置いてある。他にもネックレスやらいろいろあったが、マタンプシを購入。早速巻いてみる。結び目を隠すようにするのが通だとか。受講生の「すごくよく似合うよ!」の声にすっかり機嫌を良くし、そのまま2階の座敷席へ。

 地ビールKAMUYを、渇いたのどに流し込み、じゃが芋の発酵食、ムニニイモをつまむ。キツイ匂いを想像したが、意外に素朴な味。素朴だけど味わい深くもある癖になる味でもある。他にもイモ料理を色々食べたが、イクラ入りマッシュドポテトの美味しさが新鮮な驚きだった。プクサ(行者ニンニク)はアイヌ料理に欠かせないもの。普通のニンニクよりも香り高いこのプクサは、主に茎を食する。収穫時、球根は土中に残し茎を刈り取る。プクサの肉巻きを食べてみたが、これがまた美味い!ビールのつまみに最高である。メインはユクステーキ(鹿のステーキ)である。久し振りに鹿肉を食べたが、これまた美味い!何の根拠もないが、結構な覚悟をしてきた。何となく、ボソボソした、健康には良さそうだが、しかし正直、見ただけで食欲が弾ける様な料理は期待していなかった、が、その覚悟は最高の形で裏切られた。どれもこれも、芳しき香り、ビールもご飯もおかわりしたくなるほどの美味。おまけに愛想の良い店員さん。
 レラチセ、予想以上に素敵なお店でした。 フンナ(ご馳走様でした)。

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・7月の事の葉たち

2004.08.03(Tue.)

 群馬の実家に御輿を担いでマツケンサンバを練習するために戻ってきた。

 500年以上の歴史を持つ沼田の祇園祭りは、ものごころ付いたときから夏の風物詩になっている。小学生の頃、ばあさんの家のある町の子供御輿を担いだのが最初だった。自分の地区には子供御輿がなかったから、ばあさんの家の子ということにして混ぜてもらった。見知らぬ子たちに囲まれて、肩身の狭い思いをしながら担いだ記憶があるけど、独特の熱気や誇らしさみたいなものも、同時に幼心に感じていた。以来、ほぼ毎年担いでいる。会社勤めをしてた頃、会社を休んで御輿担ぎのために帰省したこともあった。海外出張から、担ぐために帰ってきたけど、申し込みが遅れて参加できなかった時は、歯ぎしりするほど悔しかった。ほとんどビョーキである。でも、このビョーキは街全体がかかる。今日から三日間、街は祭り一色となる。祭りは夜がメインで、日中は皆さん働いたりしてるわけだが、お店に入れば店主と祭りの話題で盛り上がるか、でなければ疲れてぐったりしてるか、という店も少なくない。

 毎年、足腰はガタガタになり、全身筋肉痛、おまけ肩は擦り剥け血塗れ、なんでこんなしんどい思いを、しかも金(会費)まで払ってしなくちゃならないのか、と毎年祭りの後には思うのだが、一年経って、この時期になると元の木阿弥である。もう、いてもたってもいられない。
 昔、厳しい環境で農耕生活を送っていた当時の人々が、一年間ためてきた鬱憤、不満を安全に爆発させる馬鹿騒ぎとして、祭りは機能していたという話しもあるが何となく分かる気がする。厳しい環境で農耕生活を送っているわけではないが、鬱憤や不満、ストレスは(それなりに)抱えている(と思う、たぶん)。世の世知辛さや理不尽さ、一年間挑んできたけど、思うほど成果が上がらなかったり、思い通りに行かなかったり、それどころか状況が悪化したりして自分の至らなさや無力さを感じる。すると人は、何か大きな力にすがりたくなる。「神頼み」である。三日間踊り狂い、鬱憤不満をぶちまけて、一心に神頼みをする(神頼みをしている自分を認める)。そんな所に昔から変わらない祭りの意義があるのかも知れない。が、俺にとってはそんなことは実はどーでもよい。むしろ、祭りは一種のトランス体験ではないかと個人的には思う。じゃなければ、擦り切れた肩から血だらだら流しながら、それでも花棒めがけて突っ込んでゆく俺たちの行動はマゾとしか説明できない。

 ということで、そろそろ宮出しの時間が迫ってきた。
 マツケンサンバ、についてはまた後で書こう。
2004.08.09(Mon.)

 久しくネット環境から離れていた。
 3日〜5日と怒涛の祭りを過ごし、6日〜8日まで鎌倉の禅寺に篭もっていた。

 思えば、不謹慎な話である。カミサマを担いだあとで、ホトケサマの前でお経を唱えるのだから・・・。傍から見ればまったくもって不謹慎!言語道断である。でも、基本的にオレ、無宗教だし。その時その時が一生懸命だったら、カミサマもホトケサマも大目に見てくれそうな気がする。

 が、不謹慎はこれに留まらない。
 祭りの最終日。市内の氏子を二分する、古い歴史を持った宮神輿が渡御するのだが、有り得ない失態を演じてしまった。担ぐべき神輿を間違えてしまったのである!二つの神輿はそれぞれ、坂上にある「上町」と、坂下にある「下町」にあり、古くから何とはなしに互いに確執を持ってきた。実家は下町に位置し、下町の神輿を担ぐはずだったのだが、鉢巻が同じだったため、間違えて上町の神輿を担いでしまったのだ!途中の休憩所で、二つの神輿が一緒になった時になって、初めて気が付いた。間違えた神輿を一生懸命担いで、既に汗びっしょり。さらに脇の下から、いや〜な汗が滴り落ちた・・・。
 
 8月下旬、友達の結婚披露宴の余興で、同級生でマツケンサンバを踊ることになった。祭りで出席者の殆どが、祭りで帰省するのを利用して、昼間は皆で振り付けを練習してた。いい大人が真昼間から集まって、♪サーンバ、ビーバ、サーンバ〜とノリノリで踊る。子持ちママさんたちも、幼い子ども達そっちのけでやる。これも考えれば不謹慎である。神輿担がないママ連はともかく、男衆は神輿担ぐ直前に、サンバのレッスンとは何事ぞ!である。

 不謹慎な一週間で日記も怠けてたけど、オモロかったなぁ。

臨済宗総本山建長寺

2004.08.20(Fri.)

 13日からアイヌモシリ一万年祭ツアーに行ってきました。
 アイヌモシリ一万年祭とは今年で16回目を数えるアイヌ文化の祭典。祭りは15日〜20日の日程で行われるが、俺たちは前夜14日に会場入りして、3日にわたって参加した。二風谷からさらに20kmちかく北に入った山の中に会場があって、来場者の殆どは会場周辺にテントを張ってキャンプ生活を送ることになる。アイヌと密接に関わってきた、沙流川のほとり、周辺に人家はなく、普段は静かそうな場所だが、祭り開催中は、のべ千人近い来場者で賑わう。開催期間中は、アイヌ伝統のウポポ(はやし歌)や踊り、またアイヌ音楽に限らず歌や演奏が朝から晩まで披露される。

 メンバーは日光の仙人akiraさん、バンドパートナーのタケちゃん、線画の魔術師大ちゃん、の毎度のメンバーに加え、AAFで知り合ったナホちゃん、行きつけのバーで知り合ったChloeとオレ。ナホちゃんは知り合う直前にたまたまakiraさんをwebで知り、HPを読みあさっていた。おまけに、むかしakiraさんがデニスバンクスに直接手渡したサイン入り「Cotton100%」を、神田の古本屋で手に入れたという奇跡の人。Chloeは日本に来る前、オーストラリアでジュリジュリというバンドのメンバーと仲が良かったが、実はこのジュリジュリ、数年前に、一万年祭に参加していてakiraさんたちも良く知っているという。二人とも今年に入って知り合ったばかりだが、一緒に今年の一万年祭に行く運命にあって、会うべくして会ったという感じ。

 で、ツアーの中身ですが・・・。
 う〜む。とても一言では言い尽くせない・・・。
 ひょんな事から、水の神(wakka kamuy)を祀ることから始まった今回のツアー。雨や水害に悩まされることもなかった今回のツアー。常にギリギリだけど、常にベストだった今回のツアー。色んな人と出会い、触れ合い(irankarapte)、別れた今回のツアー。
 う〜む、やはりボキャブリーの貧弱な小生では語り尽くせない。詳しくはakiraさんのHPを見ていただくとして、ここでは印象や感傷に引っかかるポイントだけまとめておこう。
 と、思ったら字数が一杯になってしまいました。続きは次回。ちなみに週末はいよいよマツケンサンバ。また東京から離れてしまう。ということで、続きは来週ですな。
 あ〜、なんだか夏休みっぽい・・・。宿題を延ばしていくさまが。
 
2004.08.27(Fri.)

 はやい。はや過ぎる・・・。
 前回の日記から一週間も経っているなんて・・・。
 ほんの少しサボっただけのように思うんだけどなぁ・・・。

 一週間前に、ポイントだけまとめておこう、と思っていたアイヌモシリ一万年祭ツアー。今日で、日光を出発してからちょうど2週間が経つ。
 
 一万年祭の何日目だったかに左足の裏をばっさり切った。えらくアルコールの抜け切らない朝で、だるい体を引きずって河を渡っているときに、ガラスか何かで切ったのだろう。河向こうのトイレで用を足し、テントに戻ってきてからべっとりついた血糊に気付いた。傷は意外に深く、ツアーの間はさりげなくビッコを引いていた。温泉で片足上げながら湯船に浸かるのが大変だった。いま、その傷口は殆ど癒えている。表の皮(足の裏の一番頑丈な皮)はぱっくりと割れたままだが、その直ぐ下までは完全に塞がり出血も痛みも感じない。
 
 傷の治癒だけが確実な時間の経過を否が応でも教えてくれる(そういえば温泉の滑り台で強か打ちつけた腰の痛みもなくなってきた)。アイヌモシリでの、出会いや、触れ合いや、温もりや、激しさや、別れの感動も、ばっさり切った傷口のように、蘇生し、塞がり、何もなかったかのように治癒してしまうとしたら、余りに物悲しい。いや、少なくともくっきりと傷跡が残る、その傷跡が終生消えることのない、それくらい深い傷を負ったはずだ。

 アイヌモシリの仲間、レラさん、シャケさん、ミツルくん、かなちゃん、よねさん、レイくん、TOMO、カゲ、エリちゃん、太一くん、メグちゃん、ミホちゃん、それにakiraさん、たけちゃん、大ちゃん、黒江、ナホちゃん、他にも色んな人たちの思い出を抱えて(グランドばりにぽろぽろこぼしながらも)、これからもビッコを引き引き歩いていくことでしょう。みんなホントにiyairaykere.

 大学でアイヌ語を習っているアイヌ文化研究家の先生は、アイヌモシリ一万年祭の話は興味深げに聞いていたが、レラさんの名を口にすると表情を曇らせた。曰く、いい噂を聞かない。曰く、主宰しているアイヌ語学校も教育機関としての方法論が問題視されている。曰く、預かっている養子たちの扱いが問題視されている。等々。先生は直接レラさんに会ったことはなく、二風谷在住の知人・友人の話として聞いたことを俺に言ったにすぎない。先生に腹を立てるのでもなければ、レラさんを疑うでもなかった。俺だってレラさんに会ったことはないのだ(WPPDの時にちらりと見ただけ)。まず会ってみなければ。変な噂が耳に入るからなおさら、この目で見なくては、この耳で聞かなければ、と思った。

 目の前にいるレラさんは山のような人だった。体格も、声も、風格も男勝り。「あたしの声は小さいんだから!」と言いながら誰よりも通る声で祭りを仕切っていく。祭り初日のカムイノミ(カムイ:神への祈りの儀式)では常に中心的役割を担っていた。カムイノミ終了後に天候が崩れ、雨が降りやがて雹に変わった。俺はテントで待機していたので見れなかったが、ヌサ(カムイノミの祭壇)にいたレラさんは雨が降りだし周囲の人たちがテントやステージの屋根に非難する中、ひとりヌサで祈りを始めたという。周囲の人たちがブルーシートを作り、レラさんを守る中、彼女は祈りをあげ続け、ついには雹を止ませしめた。何の因果もないかもしれない。ただの偶然かも知れない。ひとしきり降った雨や雹が止んだ、ただそれだけのことかも知れない。でもそんなところはどうでもいいような気がする。一心に祈るレラさんと、それを見てあっという間に屋根を設える周囲の人間、それだけで十分だと思う。その信頼性、その関係性が重要だと思う。現代社会で、(少なくとも僕の周りで)決定的に欠けているのが、こういう部分だと思う。

 滞在中、レラさんとゆっくり話すような機会はなかったが、間接的にレラさんの声や足跡を見ることが出来た。アイヌの踊りを披露する子どもの姿に、レラさんを慕って遠くから訪ねてくる旧友の姿に、祭りを抜けて見に行ったアイヌ語学校の教室に、そこにあった写真や資料に。そして出発の日の朝、ハグしてくれた胸の温かさに。南米でハグしてくれたどんなシャーマンよりも、レラさんの胸は温かくて厚かった。
 今回の出会いで諸手を挙げてレラさん信奉者になるわけではない。ただ、この半世紀、それこそ死に物狂いで復権運動や平和活動に取り組んできた山道康子さんという女性をもっともっとよく知りたいと思った。たぶん近いうちにアイヌの森を再び訪れるだろう。
2004.08.31(Tue.)

 8月が、
 アテネが、
 夏が、
 終わる。
 
 こないだ書いたばっかだけど、最近、時間が速い。
 ついこないだ8月に入ったと思ったら、あっというまに終わってしまう。
 その間に何をしていたかというと、神輿かついで、禅を組んで、ちょこっとバイトして、アイヌモシリに行って、マツケンサンバ踊って、って、なんだ、結構いろいろやってんじゃん。
 しかし・・・、
 いーのか?三十路過ぎてんのにこんな夏休みみたいな毎日で・・・?
 
 今年から沖縄に住みついた妹から、舞香花(もうこうか)なる花の写真が送られてきた。
 沖縄に行く前は月下美人を育てていて、やっぱり写真を送ってきた。
 どちらも綺麗で、妖しさを持った花だ。
 夏の夜、ひっそり静かに、大輪を開く。
 月下美人は育てるのが難しいことで有名だ。一年に一度、夏の夜、白くて大きな花を咲かせるが、翌朝には萎んでしまう。
 舞香花はモウカバナやサガリバナとも呼ばれ、国内では沖縄くらいでしか見られない。これも夜、花開き、朝には散ってしまう。
 一年に一度、ひっそり静かに開く花を、傍らで一部始終を見つめて過ごす夜ってかなり贅沢だと思う。
 隅田川や神宮外苑もいいんだけどね。


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