2004.12.02(Thu.)


 数年前、海の向こうやこっちで時間に追われて仕事してた頃、「限られた時間の中で如何に有効に時間を使えるか」を意識してた。
 気楽な学生になって、「時間があっても出来ることと出来ないことがある」と思った。
 今日友達に「サメみたい。何だか止まると死にそう。」と言われた。
 うん、そうかもしれない。

25日(木)
バイトしてるスタンドで、年末商戦に向けた洗車レクチャーがあった。寒い夜、みんなでズバズバ車を洗っているとおかしな高揚感が得られる。

26日(金)
32回目の誕生日を迎える。クマコに招待されて久しぶりに六本木のに行った。"Istana"というレストラン。味もサービスも良かったが、待合も含めて3部屋も使ったのは初めてだった。移動が面倒と言えば面倒だが・・・。

27日(土)
ゼミの飲みの後、スタンドの年末商戦決起集会に行き、その後池袋で飲み、ボーリングしてから、カラオケに行き、朝焼けの中チャリで明治通りを駆け下りていたらコケた。TAKEO KIKUCHIのジャケット、肩からビリビリ。あらら。

28日(日)
今日こそはおとなしくしようと思っていた。部屋から外に出なかった。でも飲んでしまった。バーチャルなさし飲みってありなんだな。

29日(月)
AKIRAさんとタケちゃんがライブを見に東京に出てきたので、その後、麺工房「遊」へ。軍鶏鍋をいただいた。

30日(火)
フクシマが本を借りたいというので、近所の明石焼き屋「多幸兵衛」に。久し振りだったけど、おでんも明石焼きも美味かった。そういう季節になったんだ。

1日(月)
レラ・チセで久し振りのライブがあった。太さんがトンコリとムックリを演った。OKIさんより荒々しく力強い(特に歌声が)。終盤は簡単な曲を会場の皆で歌ったり。理屈ぬきで楽しかった。。
 

・11月の事の端たち
・10月の事の端たち
・9月の事の端たち
・8月の事の端たち

・7月の事の端たち

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2004.12.07(Tue.)


 魔法のポットを厳かに取り出す。
 炎のゆらめきを見つめながら、呪文を唱える。
 「オイシイコホヒイノミタイ、オイシイコホヒイノミタイ」
 すると、あな不思議。
 沸騰したお湯がボコボコとガラス管を遡り、上のポットに吸い込まれる。
 しかも、透明のお湯は、いつの間にやら黒々としたコーヒーに。
 あたりに芳香が漂う。

 いや〜、いいな。
 昔、友達に貰ったやつはポットが割れてしまい、それっきりご無沙汰だったんだけど、こないだ従兄弟から誕生日のプレゼントに貰って、久しぶりに淹れてみた。
 コポコポと音を立てながらじっくり淹れてると、なんともほっこりした気分になります。
2004.12.09(Thu.)


 1980年12月8日(日本時間では9日)にあなたがダコタハウスの前で射殺された時、私は8歳でした。

 太平洋を隔てた日本でも、報道は瞬時に飛び交い、パニックとなりました。翌日、ラジオ局では特番を組み、ビートルズ時代からのあなたの曲を1日中かけました。共働きの私の両親は、共にビートルズ世代でした。私に小学校を休ませ、その日は1日中ラジオを録音させました。私は教えられた通り、ステレオの前に座り、テープが終わったら黒い「開く」ボタンを押し、テープをひっくり返し、再びオレンジ色の「録音」ボタンを押し、それが終わったら、山積みになったテープから1つ取り出しセットして、という具合に作業しながら朝から晩まであなたの曲を聴いていました。

 ハーデイズナイトも、
 イエローサブマリンも、
 ルーシーインザダイヤモンズも、
 ハッピークリスマスも、
 イマジンも、全部、右から左へと録音しました。

 いま思い返してみれば、意識的に音楽を聴いた、恐らく一番最初の記憶です。あなたが射殺されたことで、私はポップミュージックを意識的に聞き始めました。皮肉なものですね。

 ビートルズの曲は英語の勉強に最適でした。曲の中でも発音がはっきりしてるから音声として聞き取れるし、文法も複雑じゃないし、何よりメロディーが頭に焼き付いてましたから。録音を命じた両親はその後、余り聴いていた風でもありませんでしたが、僕は何かにつけ録音したテープを聴いてました。特に歌詞の意味がある程度わかるようになってからは特に。

 それから暫く時間が過ぎて、私はあなたが生まれた街と、あなたが撃たれた街を訪れました。ダコタハウスに行き、クラブカバーンに行き、ミミおばさんの家に、ストロベリーフィールドに行きました。ダコタハウスの傍らのストロベリーフィールドに献花し、クラブカバーンでは夜通し踊り明かし、ミミおばさんの家の前の道で黙祷し、ストロベリーフィールドの向こうにまだ幼いあなたの姿を見ました。

 「ライ麦畑で〜」はチャップマンから教えられました。
チャップマンの服役期間が20年を超え、仮釈放申請が出されているそうですが、あなたのファンからの攻撃を考慮して、仮釈放は見送られています。世界中のあなたのファンはあなたを撃ったチャップマンを1秒たりとも娑婆で生かしちゃおかないそうです。あなたが知ったらさぞ嘆くことでしょうね。

 こっちの世界は相変わらず戦争や殺戮など暗いニュースが続いていますが、それでも嬉しい事も時々あります。たまには歌いたくなることもあります。そちらはどうですか?相変わらず歌っていますか?
2004.12.13(Mon.)


 昨日、蕎麦屋の大森さんから電話があってパチンコで大勝ちしたから美味いもの食べに行こう、と誘われたけど、バイト先のミーティングがあることを思い出して断ろうとしたら、ミーティングが急遽延期になったので、喜び勇んで大森さんのところへ行こうとしたら、メセナのO女史から電話があり、トヨタカップのチケット1枚あるからおいでよ、と誘われて東横線に駆け込んだのが夕方6時過ぎだった。

 心情的にはオンセに勝って欲しかったけど、やはりポルトが一枚上手だった。
 ええもん見せてもろたけど、えらい寒かった・・・。ずずっ・・・。

 どうでもいいけど、日本でのゲームの盛り上がりってあんなもんなんだろうか・・・。
 普段、時間も金ないからJリーグの試合を見に行くことはないけど、今春リオで見たソンクレメンツ対フラメンゴの試合は半端じゃなかった。
 ま、血がラテンだけど。
 チャンピオンシップはサポータも大編成だし、違うのかな。
2004.12.15(Wed.)


 学校の近くにある小料理屋に行った。

 なぜこの店に行ったかというと話せば長くなるが、浅草の居酒屋で飲んでた時にたまたま隣に座ったおじさんと祭りの話で意気投合して、実はわりと近所に住んでいたそのおじさんの町内会の神輿を担がせてもらうことになって、事実、9月に担いだんだけど、そこでまたかわいがってもらっちゃって色んなとこでご馳走になった挙句、最後に連れてってもらったのがこの小料理屋だった。 このご主人も神輿の役員をやっていて、本職は柄絵師だったりもするんだけど、趣味だった料理を生かしてお店を出して、これがまた料理が美味いせいもあって、地元の神輿仲間や町内会の仲間が集う場所でもあったりする。
 たまたま時間が空いたので、久しぶりにふらりと入ったのだが、ご主人はしっかり憶えていてくれて、直ぐに神輿仲間の何人かに電話をしてくれて、しかもその人たちが平日だというのにわざわざ出てきてくれて、カウンターにずらりと並んで他愛もない話をしてたのだが、その他愛もない話も僕が担いだ神輿の保管場所についての話だとか、その運営だとか、さりげなく僕の聞き知ってる話題に(たまたまなったのかどうかはともかく)してくれて、「久しぶりにふらりと」入ったのにも拘らず、その地域の仲間に入れてもらえたような暖かさを感じた。
(以上、保坂和志のテクストでレポート書いたのでこんな文章になっているけど、つまりは)

 ここに集うおじさんたちの機智と機微に感動してしまった。
 (9月にも感動したんだけど。)
 おじさんたちにもうメロメロ。
 腹は出てるし、頭は薄いし、下ネタも連発するんだけど、基本的に頭の回転速いし飲んでも回転数はあんまり変わらないし、とにかく言うこと成すこと「粋」なのだ。
 それはおじさんたちがそれぞれの「閾」をしっかり持ってるからだろうし、だから機微を併せ持つことが出来るのだと思う。

 とにかくもし自分が年をとるのなら、ああいうふうになりたいと素直に思った。
 
2004.12.21(冬至.)


 寒い。
 寒い中、寒い群馬に行った。

 先週、前橋で「味の店」をやっているつきみちゃんからメールがあり、今年も「冬至祭」をやる旨、知った。前橋の情報ステーション「弁天村」は昨年からナナオさんを招いて詩の朗読を聴き、大地へ感謝するイベントを行っている。今年は近所のお寺、大蓮寺を舞台にいつものポエトリーリーディングに加えて、ご住職の説話や対談を取り入れたコラボレーションになるという。

 前日、ミドリさんちの忘年会で一緒だったAKIRAさんが二日酔いの頭を抱えてよろけていたのを新宿で拉致して、国道17号線を北にひた走る。予定通り開始1時間前に到着。前橋名物、じゃんじゃんラーメンを喰らう。
 会場である本堂に入ると、観客構成の不自然さに違和感をおぼえた。年齢層がガッパリと一刀両断されている。20代〜30代と思しき青年層と、60代〜の高齢層。中年層がまったくと言っていいほど居ない。青年層がナナオさん目当てで、高齢層がご住職目当てで来てるのだろう。

 最初にご住職の法話。「12月8日はジョンレノンの命日であるだけではありません。」という釈迦が悟りを開くまでのお話。綺麗な星空や景色を見ることなく、冷たい床や汚れた道に自らを横たえている「足の裏」の有難さについてのお話などを聞いた。喋りなれているためか、とても聞きやすい上手な話方なんだけど、それに加えてご住職、駄洒落の切れ味が半端じゃない。AKIRAさんと共に感嘆してしまった。
 ナナオさんはいつも通り、ほっこりしていた。壇上に上がるとのっけから、「何をすればいいかな?何か喋るの?」 こちらに聞かれても困ってしまうけど、こちらもこちらで、「えーっと、俺たち、ナナオさんに何して欲しいんだろう?」とか考えて、そうすると壇上と客席の距離感が一気に縮まる。柔らかで伸びやかで、哲学で禅世界なナナオさんの詩。ナナオさんから発せられる言葉のひとつひとつが、からだに染み入ってくる。

 休憩を挟んだ2時間半のプログラムが終わると、「弁天村」で懇親会が行われた。「味の店」のみっちゃん、つきちゃん姉妹のオーガニックフルコースが目と鼻と胃を優雅に満たす。ナナオさんとご住職を囲み、和みの団欒。榛名の大杯をはじめ地元の地酒に加えて、ご住職が大本山からいただいたという純金箔入りの純米酒(いーのか?)まで飛び出し、楽しい酒が美味いお喋りを引き出す。
 結局、AKIRAさんはその晩、日光に帰るのを諦め、懇親会に来たシンヤに翌日、送ってもらうことに。「じゃぁ」ってことで懇親会のあと、むかし居候させてもらったこともある、伯父伯母夫婦の家になだれこんだ。予め連絡しておいたら、夫婦で飲まない家なのに、お酒とスルメ、スルメを炙る火鉢まで用意しておいてくれた。すでに1時を回っていて、回っていたのは時間だけじゃなくてアルコールもだったんだけど、とにかくまた飲んだ。

 時折ぱちりぱちりと音を立てて燃える火鉢の炭。ちんちんちんと湯気を上げて上気する鉄瓶。そして酒とするめ。

 時間が静かに流れる丑三つ時。12歳で逝った光隆のために、お猪口に酒をつぐ。AKIRAさんとシンヤにあいつのことを説明していると、色んなことがフラッシュバックしてくる。1歳年下の従兄弟だった光隆とはもの心がつく前から一緒に育てられてきたような気がする。じゃれ合う子犬のようだった。
 今の俺を知ってる人にしたら信じてもらえないかもしれないけど、子供の頃は何処か気後れのするようなどちらかといえば控え目な子供だった。小さな悪戯はするけど、大人を本気で怒らせるようなことはその一歩手前で止まる「聞き分けのいい」子供だった。光隆は好奇心でその一線を軽々と越える子供だった。楽しそうな匂いを嗅ぎつけると全速力でそれを捕らえる瞬発力を持っていた。1つ年上で「聞き分けのいい」兄役だった俺は、立ち入り禁止の札のぶら下がる鎖を潜り抜けようとする光隆を諌めながら、それを密かにカッコいいと思っていた。もっとも俺の制止におとなしく引き下がるようなあいつじゃなくて、制止も構わずどんどん先に行ってしまって、置いて行かれた俺は何とも居心地が悪くて、だいたい後からついて行くんだけど。
 夏休みの自由研究に、ヤモリの観察報告を作ったら校内で話題を呼び、その後も観察を続けてヤモリ博士の異名をとったり、そういう話はいっぱいあって、つまり、何にでも純粋な好奇心とずば抜けた瞬発力で追求していくタイプだった。19年前の冬、気の早いあいつは近づいてきたハレー彗星を見るために、純粋な好奇心とずば抜けた瞬発力で、高圧線鉄塔を一気に駆け上がり、そのまま天まで駆け上がっちまった。

 いま振り返ってみると、あいつがこの世からいなくなった後、純粋な好奇心と瞬発力を俺は一生懸命身につけようとしてきたように思う。もし、あいつが生きてたら俺以上にAKIRAさんとウマが合っただろうと思う。隣に居るシンヤは何処となくそんなあいつの面影を感じさせる。 なんなんだろう?これ。

 何時だったか、突然AKIRAさんが立ち上がり、押入れの襖を開いた。何事かと思って見守っていた俺やシンヤを尻目に襖を閉めるや、今度は隣の部屋に行き、さらに奥の部屋へ通じる硝子障子を開き、そこにあったラジカセに躓き、仏壇の扉に手をついた。躓いた拍子にラジカセのスイッチが入り、大音量が流れてAKIRAさんが我にかえった。たぶん、酔っ払ってトイレに行こうとしただけだろうけど、光隆がAKIRAさんの体を使ったって不思議じゃない。何せ、むかし、俺はこの家であいつのおばけに会ったことあるし。「もう少し近くまで酒もってこい」とでも言いたかったのかな。
 古来、とくにヨーロッパ各地では、日の長い季節を「生きる者の世界」としたのに対し、夜が長くなる季節には生命のエネルギーが衰えて、とくに冬至の日には「死者」たちが「生の世界」に戻ってくるとされていた。だからこそ、昼間を取りもどすために「祭」をして、その死者達を迎え、慰め、礼を尽くして送りかえさなければならなかった。

  わかった、わかった、
  光隆、そう悪さするな。
  明日、お前の分もちゃんとお祈りしてくるからさ。

 いつの間にか3人で川の字になって寝てた。

 翌日、冬至。
 伯父伯母夫婦の(というか光隆の)家をあとにし、シンヤのお母さんが入院している病院に行った。お母さんは子宮筋腫を患って長く考えた挙句、子宮を摘出することにした。その摘出手術が数日前に行われて、現在は快方に向かっている。その手術でシンヤは、医師が差し出す子宮を肉親として確認した。自分が生れ出てきた子宮を、である。シンヤは多くは語らない。でも言葉より、トーンや表情の方がダイレクトに伝えてくれることもある。シンヤの瞳は多弁でもある。
 その手術の前後で、シンヤはお母さんにAKIRAさんの「COTTON100%」と「神の肉〜」を手渡していた。お母さんはどっちも1日ちょっとで読みきってしまい、手術後、死生観や幸福について考えることを「神の肉〜」の感想を交えてノートに書きつけていた。そのノートをAKIRAさんと俺に見せてくれた。泣きそうになった。AKIRAさんも泣きそうだった。そこにはお母さんの日常が描かれていた。日常の中にある幸福が描かれていた。

  すべては日常から始まり、日常に収束していく。
  十分だった。
  充足していた。

 AKIRAさんはそこにお母さんの似顔絵を描いた。すごく綺麗な表情で、それは実物のままだった。

 AKIRAさんとシンヤの乗った車を病院の駐車場で見送り、「味の店」と「Liberty」に寄ったあと、冬至祭のセレモニーが行われる榛東村に向かった。
 日の入りに合わせてセレモニーが行われると聞いていたので、急いでいたが、道が混んでて思うように進まない。何となく4時くらいに出れば間に合うだろうと思っていたが、日はぐんぐん傾いていき、雲ひとつない西の空を金色に染めていく。日の入り時刻って普段から余り気にしてなかったが、冬至にはこんなに早く日が落ちるんだ。しかし、まだ4時過ぎだぞ、おい・・・。信号待ちをしながら、榛名山の稜線の向こうに沈む夕日を見ていた。
 もしかしたら、セレモニー終わってるかもな、と思いながら会場にたどり着くと、ちょうど弁天村村長の橋爪さんが来たところだった。みんな遅れて、ちょうどこれからだという。橋爪さんがティピとパオを融合させて作った「ティパ」の中を整理し、中央の薪ストーブに火をいれる。その地でとれた野菜を鍋に入れ薪ストーブに乗せる。徐々に人が集まりだした。この辺りは赤城山から吹き降ろす北風が強く、赤城颪とも呼ばれる。この日も昼間から風が強かった。冷たく厳しい風がティパを覆う生地を激しく揺らす。日が暮れて辺りはどんどん暗くなっていき、冷えた外気がどんどん俺たちの体温を奪っていく。次々に薪をくべ、橋爪さんが用意したロウソクに火を灯していく。ひとつひとつ針金でスタンドを作り、ティパの中に吊るしていった。今日は日本中で100万人がキャンドルを灯している。そうしているうちに、ティパの中は必要な暖かさと和らかい明るさで満たされていった。

 セレモニーに先立って、参加者全員で冬至についてひと言ずつ自己紹介と共に語っていく。一巡すると、秋山さんによるインディアンドラムを使ったセレモニーが始まった。秋山さんは細身だががっしりとした体躯を持ちグレーがかった長髪を後ろで束ねた北米インディアンのような人だが、実際にインディアンたちと共に暮らした経歴も持つ。94年にAKIRAさんが行った個展「SHADOWS2」でインディアンのセレモニーを行っていたのも、単なる偶然とは思えない。
鹿の皮を張ったインディアンドラムから発せられる単調なリズムが、徐々にティパを内側から振動させていく。やがて秋山さんの唄が始まった。ティパの外側を吹き抜けてゆく風の音と、秋山さんの紡ぐ歌声と、古代の太鼓の音。眩暈を起こしそうになるほどに波動があたりを渦巻く。
やがて秋山さんの歌声はゆっくりと変調していきセレモニーの終焉を告げる。

  気づくと、
  風が
  ぴたりと
  止んでいた。

 参加者が全員でお互いにひとりづつ感謝の言葉を述べて、秋山さんのインディアンセレモニーは終わった。休憩で外に出ると眼下に前橋の夜景が煌き、頭上には星空が散らばっていた。みっちゃんとノリちゃんが、AKIRAさんのライブを群馬でやれないか?と聞いてきた。昨晩、弁天村の懇親会で即興で演った2曲が良かったらしい。「人さえ集めれば喜んで来てくれる筈だから、場所とか集め方とか考えてみようぜ」と言った刹那、橋爪さんが夜空を指して言った。 「あ、流れ星。」
 「どこ?どこ?」と聞く間もなく消えてしまったんだけど、これできっとAKIRA LIVE in GUMMAは実現する筈なんて、かなり真剣に盛り上がった。

 再び、ティパに入り、ちょうど出来上がった鍋を食べながら、今度はナナオさんの詩に耳を傾ける。大家族がテントに寄り添って、エカシ(お爺さん)のお話に聞き入っているようだ。いくつか披露したあと、エカシは子供や孫たちに自分の詩を読ませた。みんな思い思いの詩を選んで朗読していく。お前も何か読め、とエカシに指名されて、読みたい詩はたくさんあり過ぎてとても一つだけ選ぶなんて出来そうになかったんだけど、たまたま開いたページに昨晩、大蓮寺で聞いた蓮池上人のお話にあった「足の裏」の詩があったので、傍らにいたタケシさんと共に朗読した。



「足の裏なる 歩き神」

富士 まぢか
ひとりごち とろとろ登る 山の道
“昨日は グチの ぐちの 愚痴の・・・
 歩きの今日は 夢 まぼろしの 波乗りの・・・
 明日は むらさきかすむ 山なみの・・・”

山靴 鳴らす 火山礫
急に登れば 尾根ひらけ
ふと 立ち止まり 息をのむ

  やせにやせ 背たけもつまり
  なお 青むらさきに 咲きいでる
  あれは トリカブト

  枯れにかれ 霜にしおれ
  なお 大ぶりに 咲き残る
  あれは 富士アザミ

  ちびもちび 蛇まだらの茎に立つ
  赤とみどり 実りの宝石
  あれは マムシグサ

眼路のかぎり 富士の裾野は 荒れにけり
ここに ひびく 矢おと 太刀おと
ここに 流れる 鹿 猪 の 血と涙
将軍 頼朝の巻狩は 七百年の その昔

今日 この耳と胸つんざく 轟音は
あの 実弾射撃は
裾野を走る 死神の制服は
あれは ジャップ? ヤンキー? それとも火星人?

  山やまよ 花ばなよ 鹿よ 猪よ
  大砲よ 昨日よ 明日よ

  一歩 また 一歩
  人は 歩きはじめる

  “立ちどまるも また よし”とつぶやくは
  足の裏なる 歩き神

               1988.11
               (詩集「ココペリ」より)


 頼朝の巻狩を知らなかった俺に、エカシは丁寧に教えてくれた。巻狩とは四方から獲物を取り巻き、追い詰めて捕らえる狩りの一種で、頼朝は大規模な巻狩を富士の裾野で行った。その巻狩の最中で仇討ちを果たした曽我兄弟の話もしてくれた。曽我物語のモデルである。東海道本線の線路の脇に曽我兄弟の墓が立っていることも教えてくれた。小学校卒業の学歴しか持たないエカシは大学に通う俺の何倍もの知識を持っている。いやはや、まだまだ勉強が足りません。

 帰り道、南にひた走る車のフロントガラスの真上にひと際強く白い星が光ってずうっと追いかけてきた。都内に入ると星は消え、ビルの谷間を風が強く吹いていた。

 

大蓮寺にて

ナナオ翁と住職蓮池上人
まん中は「味の店」のつきみ嬢
ナナオさんの髭を捕まえて、
「ニセもんじゃねーの?」
などと失礼なことをいうAKIRAさん
冬至の夕焼け。手前は煙をあげる
富士山でなく、橋爪さんの「ティパ」
ティパの中。中央部は煙突や
換気のために開いている。
橋爪さんが用意してくださった
ロウソク。花を模している。
みんなで針金でスタンドを作り、
ひとつひとつ火を灯していく。
2004.12.23(Thu.)


 実家のルルが死んだ。

 弟が小学校5、6年の時にもらってきたから、かれこれ13、4歳になっていた。犬にとっては高齢なのだろう。

 数日前から実家の両親が、健康状態を知らせてくれていた。普段あまり連絡を取り合わない家族同士で、メールや電話のやり取りが続いた。
 ルルもすっかり家族の一員だったんだ。

 死者の季節とはいえ、突然の別れはつらい。
 もう少し散歩に連れて行ってやりゃよかったよ。
2004.12.24(Fri.)


 うちで豆乳鍋を食べた。
 初挑戦のわりには美味く出来た。
 白と緑と赤で、クリスマスらしい彩りを意識したんだけど、どうやら分かってもらえなかったらしい。
2004.12.25(Sat.)


 久しぶりに墨東を歩いた。
 スパイスカフェは目にも、舌にも、心にも、程よいスパイスを与えてくれた。

 夜は大森さんたちと忘年会。江古田の焼き鳥屋(名前を忘れた)の絶品レバ刺を喰らい、卒倒しそうになる。
2004.12.30(Thu.)


 部屋から見える月を肴に飲む。
 おっさんである。
 でも美味いからいい。
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