2004.10.04(Mon.)

 
 先週の土曜日、久し振りにフリマの出店をした。
 場所は横浜みなとみらい。
 4年前、初めてフリマに出店しようとした会場だ。
 結局、雨で流れてしまった。
 その後も何度か雨に降られた因縁の地だった。
 先週の土曜日はよく晴れた。
 今までの因縁が嘘のように良く晴れた空だった。

 おじいさんがいた。
 道ばたで木の模型戦闘機を売っていた。
 几帳面に塗り分けられた、いくつもの機体が綺麗で足を止めた。
 
 手にとってみると主翼のカーブ、パイロット席の丸みなどが柔らかい曲線を描いている。おじいさんに訊ねてみると、一体一体、紙やすりで削っているという。なるほど、なんとも言えない柔らかな曲線は手作りのみの成せる業だ。
 おじいさんは会社をリタイアし、奥さんと共に悠々自適の生活を暮らしていると言う。戦時中、学徒動員で勤めていた中島飛行機の仲間と共に、数年前に、戦闘機の木製模型を作り始めた。おじいさんたちが作る模型はその殆どが1/50の縮尺で忠実に再現されている。それもそのはず、当時の図面や資料をもとに詳細まで拘って作っているのだ。実際に、飛行場で自分がメンテナンスを手がけたものも幾つか含まれている。職人ではないから、細かい部分での荒さは確かに残っているけど、しかし、そこには人の手が作る木工品の温度が感じ取れる。

 おじいさんは自分が実際に手がけた飛行機の模型を手にとって、当時のエピソードを色々話してくれた。学徒動員の自分にとってパイロットは物凄くかっこよく見えたこと、戦闘機の実弾射撃の手伝いに行った時のこと、将校にもらって始めてバナナを食べた時のこと、特別声を荒げるでもなく、饒舌になるでもなく、まるで昨日買い物に行ったスーパーの話をするように、ごく淡々と話してくれた。でも、その内容は僕にとって強烈だった。残酷とか勇ましいとか、そういう強烈さではなくて、今、目の前で淡々と語ってくれているこのおじいさんが紛れもなく、戦争という僕の知らない歴史の1ページに確かに居たという強烈なリアリティ。それが僕を歴史の狭間でくらくらさせた。戦争という、今の日本にとって非現実な世界で、学生だったおじいさんはごく普通の青春を過ごしていた。
 僕は自分でもどうかと思うくらい平和主義者で、戦争には理屈抜きで反対で、ましてや戦闘機になんて耳カスほどの興味も持ち合わせていないけど、おじいさんの木製の戦闘機をひとつ買うことにした。その日の自分の売り上げの5倍近い値段だったけど躊躇しなかった。(売り上げは惨憺たるものだったんだけど・・・。) 

 部屋に戻ってから良く見ると、戦闘機の主翼の裏側にはおじいさんの字で、「第64戦隊第3中隊一式戦機43、隼」とボールペンで書かれていた。



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2004.10.11(Mon.)

 
 トモダチの家のホームパーティに行ってきた。
 トモダチは群馬に35年ローンで家を建て、奥さんと共に8歳と、5歳と、3歳の子供を育てる立派なお父さんだ。いい歳こいて学生身分でフラフラしてる俺から見れば、絵に描いたようなマイホームパパである。同い年数生きてても、ここいら辺りの年齢になると、随分と違いが出てくるものだなぁ、なんて、8歳の息子とキャッチボールしてんのを縁側から見ながら、しみじみ感じた。

 当初は庭でBBQをする予定だったが、あいにくの天気で、部屋で焼肉パーティとなった。とは言っても集まったのは、大人が総勢8人、子供が4人。普通の家庭にこれだけの人数で焼肉の出来る巨大なホットプレートがあるはずもなく。で、普段、上さんや彼女に頼りっきりの男衆が、ひとり一品手料理を作る、という企画が突如持ち上がった。

 いやぁ〜な予感がした。みんな普段から包丁を握ることのないようなやつらだったので、俺に皺寄せが来るのでは・・・と。
 でも、以外や以外。ブルスケッタやパスタ、チャンチャン焼きに味噌汁、と組み合わせはさておき、どれも舌鼓ものの逸品ばかりだった。
 台所で汗をながし、子供と戯れ、美味い酒と肴に舌鼓を打つ。あぁ、なんかアットホームな温もり・・・。


2004.10.14(Thu.)

 
 華氏911を見た。
 本当はモーターサイクルダイアリーズを見たかったのだけど、満員で入れなかったのだ。

 グロテスクな作品だと思う。これぞ本当のアメリカ!なんてものはどこにも存在しない。この作品だって、ある一面で切り取ったアメリカの像だ。その切り取り方がグロいのか、対象そのものがグロいのか、あるいはその両方か・・・。
 マイケルムーアは頭がきれる。その上、超一流のユーモアを併せ持つ。超一流のユーモアは恐ろしさと表裏一体にあると思う。だから、この作品は楽しくて恐ろしい。
 以前、深夜番組で彼の突撃インタビューのフィルムを見た。僕はマイケルムーアは一連の作品制作を始める際、悲しみと怒りと共に断固たる決意をしたのではないかと思う。こういう人間も輩出するのがアメリカのおもしろいところではあるのだが。

 最近、主夫してる。先日から従兄弟が我が家に住み着いている。住み着いているとは言っても、週末の公演にむけての稽古で、帰りは毎晩12時近い。腹を空かせて帰ってくる彼女のためにご飯の仕度をして待っていたりする。夕食の支度をして残業帰りの旦那の帰りを待っている、主婦の気持ちが少し垣間見れる気がする。いや、そんな主婦、今や、あまり居ないか。

2004.10.18(Mon.)

 
 とりふね舞踏舎の、『燦・月譚』を見た。
 突き抜けるような青空の下に張られた白いテントの中で、小さな死に会った。
 
 大野一雄や土方巽らのBUTOHはビデオや劇場フィルムで見たことはあったが、生で見るのは初めて。会場の神奈川ドームシアターは思っていた以上に広かった。固い建築物ではなく、柔らかいドームが会場というのが、何となく意図的な気がする。
 主演の三上賀代さんは、師事した土方の暗黒舞踏に関する研究論文を発表した土方舞踏の継承者であり、精華大で教鞭をとる、いとこ・あすかの恩師にもあたる人。ゲストとして招かれた大野慶人さんは晩年の大野一雄の作品を演出し、自身のソロ活動も積極的に進める氏のご子息。いわば、世界を席巻した日本の舞踏を立ち上げた二人の、バトンを受け取った人たち。

 素早く、ピシッピシっと正確に手足を伸ばすのも演技ならば、ゆうっく〜り木目細かく動くのも演技。賀代さんが、客席に顔を向けたまま、左から右へとスローモーションでかけて行くシーンを見ながら思った。普通の動きが、ある点と点を結ぶ線的な、断続的意識の無頓着な動きとするならば、彼女や慶人さんの動きはある点から点までを点のまま繋げていく連続意識的で執着的な行為なのだ。ウォルトディズニーの滑らかなアニメーションに例えたら怒られそうだが、100分の1秒、1000分の1秒、どの単位、どの時点で切ってみても、彼らの意識と筋肉はふるふると震えているに違いない。

 「舞踏とは命懸けで突っ立った死体である」と土方は言った。身体表現の可能性はまだまだ残っているように思う。

 従兄弟バカという言葉はないが、終了後、隣で感動の涙を拭う姉と同様、鳥肌の立った両腕で、手が痺れるまで拍手を送った。毎晩、終電で帰ってきて、用意しておいた晩飯を二人で食べると、ゆっくり話す時間もないまま、お互い疲れた身体を横たえ、ぐっすり眠る。そんな1週間だった。ちいさな身体のどこにそんなエネルギーがあるのやら。身体的にも精神的にもプロっぽくなりつつある姿に兄は心強さを感じたぞよ。

 さっき、韓国焼肉店で飯を食いながら思ったけど、『燦・月譚』って、参鶏湯(サンゲタン)と何か関係あるんだろうか?偶然?
2004.10.20(Wed.)

 
 モーターサイクルダイアリーズを見てしまった。

 バイトも学校も休みだったので先週、見そこねたリベンジマッチに恵比寿に行った。いくら人気があるとはいえ、大型台風23号が本州に上陸した、水曜日の昼間ならば席が空いてない筈がない。
 早めに着いたので、ビアステーションで恵比寿デゥンケルをごくごく飲んでから、上演時間に行ってみるとチケット売りのお姉さんに「お席わずかですが構いませんか?」と訊かれた。アブナイアブナイ。というか、なんなんだ?この人気は?

 ブレノスの町並み、オリャンタイタンボの田園風景、クスコやマチュピチュの石垣、リマのサンフランシスコ教会、プカルパの船着場、そしてそれら風景の中で微笑むインディオやチカーノたちの表情。半年前の記憶がフラッシュバックする。
 ここ最近というもの、トモダチの旅日記もやたら更新されるし、色んな国からメール届くし、それで今日の映画。何だか、「お前ぇ、そんなとこでなにのんびりしてんだ、早く出発しろよ」と言われてるような・・・。旅人DNAを呼び覚ましてしまったかも。

 昨日、ゼミで「伊豆の踊り子」の中の異文化について、「旅は結局、現実逃避であり、何か変わったように感じても一過性のものでしかない。」と断じた女史がいた。僕はすごく控えめに、「旅を〜、とひと括りにしてはロードノベルも成り立たないから、もう少し限定して説明しないと説得力無いんじゃない」とかなんとか指摘した。人生いろいろで、旅もいろいろなんだけど、「私も時々、海外旅行に行きますが〜」と語る彼女が、「現実逃避で、一過性のもの」に何十万円も払ったのなら哀れだと思う。旅の魅力と旅の力は知ってて損をすることはない。

 すごく爽やかな映画だった。
 エルネスト(ゲバラ)が何にでも前向きに向かう姿が爽やかだった。
 兄貴分であるアルベルトのエルネストに対する眼差しが暖かくて爽やかだった。
 スクリーンに映し出される光景の至るところで、爽やかな風が吹き渡っていた。
 そんな風に感じた。

 ラストのシーンは原作よりも大分脚色されているようで、やりすぎとの声もあるらしい。
 フェアウェルパーティの途中、アマゾン川の北側(職員施設)から南側の隔離病棟に泳いで渡るシーンを、「わざとらしい」、「酔狂だ」と批判することは簡単だ。でも、その足は北側につながれ、対岸で患者のシルビアが必死に叫ぶ「Vamos!」の声は彼らには聞こえない。


2004.10.24(Sun.)

 
 日光から戻る。

 来月20日に行われるakiraさんの出版記念パーティの打ち合わせ(と称して遊び)に日光へ行った。来週チベットに発つdaisukeに声をかけたら着いてきた。チベットに関する書籍や、あわよくばずらりと揃った旅グッズまで借りようという考えらしい。で、思惑通り借りていった。
 土曜日、お土産にパンを買いに近所の「黒パン屋」に行った後、浅草に着いたのはdaisukeとの待ち合わせの1時間ほど前。ぶらぶらとそぞろ歩きのあと、回転寿司屋へ。焼きたてのパンの香ばしい香りのするリュックを傍らに寿司を食う。ようやく浅草に着いたdaisukeから電話があったのは、ちょうど腹八分目ジョッキ1杯というところ。ビールとつまみを買って、日光行きの快速に乗り込む。週末とは言っても夕方の日光行きはそんなに混んでいない。ボックス席に納まり、旅行気分満点である。

 陽は落ちても、とめどもない話は尽きず、列車は北にひた走る。缶ビールが終わった頃だった。突然、列車が止まり、「ただ今、地震が発生したため〜」のアナウンス。大したことないだろうと、たかをくくって待ってたら携帯が鳴った。家で仕事をしていたクマコからで、相当デカイ地震とのこと。実家のある群馬も震度5だから、念のため電話した方がいいんじゃないかと言われるまま、電話してみたが実家は大したことないとのこと。ひと安心するも、列車は一向に走らない。
 daisukeはお土産に持ってきた土佐の銘酒・雪雀を開け、俺もお土産に買ってきた、「黒パン屋」のパンをリュックから取り出す。和洋折衷の宴会が始まった。走り出してはまた止まる、を繰り返す列車の中で即席の宴会は盛り上がる。結局、日光に着いたのは予定より1時間以上も遅れた夜8時まえ。
 到着後、30分で打ち合わせを終わらせてまた宴会に突入。アボジにtakeちゃん、地震で帰り損ねたアユちゃん、ゴンちゃんたちと深夜4時まで飲む。今朝は久しぶりの二日酔いに見舞われた。昼まで起きられず、起きても胃液を吐く始末。でもバーミヤンで飯喰って、温泉浸かったらすっかり直った。天気も良いし、あまりに気分が良かったので風呂上りの一杯に手を出しそうになったが、さすがに止めといた。



小さな店内はいつも盛況

熟睡のtakeちゃんの上には、
全快したコマ

2004.10.27(Wed.)

 
 何だか劇場通いが続く今日この頃、渋谷で「アトミック・カフェ」を見た。

 スゴイ。
 アメリカ政府が作成したフィルムだけを編集して、1本の作品に仕立ててある本作。まず、その集めたフィルムの量が半端じゃない。リサーチ中に集められたフィルムは10,000本以上。その膨大な数のフィルムを監督が1本1本見て、取捨選別し、切り取り、貼りあわせていく。気が遠くなるようなコラージュ作品だ。
 しかも、その作業をこなした監督というのが、現アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュのいとこ、ケヴィン・ラファティと、ピアーズ・ラファティ、(監督はもうひとりジェーン・ローダーもいる)。しかも、ケヴィン・ラファティはまだ無名だったマイケル・ムーアにドキュメンタリーフィルムの撮り方を指南している。

 で、内容がまた酷い。つなぎ合わされたフィルムの殆どがプロパガンダもの。寒々しい笑いと共に、底無しの断崖を見るような気分に見舞われる。映画「ベルリン陥落」を思い出した。国家権力という不器用な恐竜が撮った映像は、かくも不細工な風体を装う。「ビキニ諸島の島民との触れ合い」や、「原爆からの非難訓練」など、ショッキングな映像は枚挙に暇がないが極めつけは、訓練兵への教材フィルム。原爆の実験を説明する中で、「放射能は目や口など開口部からの侵入さえ防げば大丈夫」というナレーションに続いて、もうもうと立ち上がるきのこ雲に兵士たちが走り寄っていくシーンが映し出される。

 そうそう、途中で挿入される歌もすべて当時、政府によって作られたものばかり。子供向け教育フィルムの中で流れる「Duck & Cover」がいつまでも、いつまでも呪いの歌のように僕の頭の中で響き続ける。

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